横綱. 惑をおかけしますがよろしくお願い致します。, ■2012/02/02「中嶋医院」ホームページを開設しました。, (各イラストをクリックで、詳細ページに移動します。). 休み: 22日(土) 千葉経済大学ab(白鷗g)10:00: 23日(日) ウェルネスab(白鷗g)10:00: 24日(月) 順天堂大学b(白鷗g)13:00: 25日(火) 休み: 26日(水) a:エイジェック(白鷗g) 27日(木) 28日(金) a:青山学院大学(白鷗g)12:30: 29日(土) 中嶋医院(医療法人白奉会 三重県玉城町)の公式サイト。土日・祝日診療あり。健康はすべての人々の願い、そして幸せの源。患者さんの「ありがとう」の笑顔をバネに、中嶋医院ではより充実した安心医療、心の通う治療を目指しています。すべての人の健康と笑顔を願って・・・ 11月場所に続く稀勢の里戦の黒星で、横綱になってから同じ力士に連敗したのは、朝青龍、日馬富士に続き、3度目。しかし14日目には把瑠都を掬い投げで下して自身18回目の優勝を決める。優勝を決めた翌日(千秋楽)には紗代子夫人に第3子となる女児が誕生、相撲も魁皇を送り出しで破り14勝1敗で終え[65]、自身2度目の6場所連続14勝以上を達成。年度にこだわらない任意の場所の連続6場所での勝ち星記録87を88に更新している。, 2月に発覚した大相撲八百長問題では関与は見られず、白鵬自身も記者会見で「ないとしか言えない」と否定しているが、この問題の影響で出演していたCM(住友林業など。)が放映自粛に追い込まれている。なお春場所で7連覇がかかっていたが、この八百長問題で春場所自体が中止となった。, 5月技量審査場所は再び7連覇がかかった場所となった。2場所連続で敗れていた稀勢の里に勝つなど12日目まで全勝を続けていたが、13日目に日馬富士に敗れた[66]。 白鵬と鶴竜は東京オリンピックでの開会式で土俵入りを国民に披露したいだけなんだろうな, 横綱戦2敗しないボーナスを貰っても、大関は正代やっと増えただけ。関脇以下が不甲斐ないわ, 稀勢の里の前例を見たら10年くらい休場してもかまわないくらいの成績を白鵬は残しているからな, 白鵬はどうせ出たら強いけど鶴竜は出ても弱いからなぁ、正代がいくら強くても横綱不在だと横綱がいたらとか言われるんだし, 白鵬1年に2回優勝できてたから休場多くてもメンツ保てたけどさすがにそろそろ厳しいかな, 【韓国】フランス政府「韓国旅行では性犯罪、盗撮被害に注意」 バーニングサン大事件の余波 2019 【薬物レイプ被害】, 降格できるようにしないと誰だっていつかこうなる気がする。誰だって無理して働きたくない, これはホント酷い。前回コイツ優勝出来なそうになったら急に怪我のフリして休んだゴミ。, こいつ降格無いことを利用して休んで休んで体調万全に仕上げて年に一回位優勝して面目保ってるだけだから, 八角理事長は性格がのんびりしているし頭も悪いから最悪の理事長ではある このままだと大相撲は相手にされなくなる 絶対に制度を改革する必要性がある, 基本給はもらえるのか?横綱なら年一回優勝してあとは休みでその辺の力士の幕内フル出場よりもらえるんだろうな, モンゴル2匹が4年以上ダラダラ続ける異常さが叩かれてるのに白豚信者の印象操作醜いなwww, いくら白鵬憎しでも日本人横綱という大恥を直前に残してしまってる点はもう全く擁護不能なんだよな, いくら白鵬のサボリを擁護できないからって日本人横綱を叩いてごまかしてしまってる点はもう全く擁護不能なんだよな, https://news.yahoo.co.jp/articles/1b53b4901e7568e927dbccaa53e2201b64862f3d, https://stat.ameba.jp/user_images/20171206/21/max78kg/43/d6/j/o0568064014085786532.jpg, http://kwout.com/cutout/b/5q/pu/kni_bor.jpg, http://www.sumo.or.jp/IrohaOtherInquiry/contact_us, http://www.sumo.or.jp/Watching/guide/tokyo/access/598/, http://skicsou.r4d1um.org/ctcs/dsxs6794158.html, http://skicsou.r4d1um.org/vtcs/YMpO0584235.html, https://news.yahoo.co.jp/articles/16fc579e0b14ff0552f8037cb9a1f02d7e01ccba. 7日(金) 補講期間: 8日(土) ... 10日(月) a:城西国際大学(遠征) b:千葉敬愛大学(白鷗g)13:00: 11日(火) 休み: 12日(水) 13日(木) a:城西大学(遠征) 13:00 b:城西大学(白鷗g)11:00: 14日(金) a:亜細亜大学(遠征) 10:30: 15日(土) 休み: 16日(日) 17日(月) a:筑 … 11 ... 八百長の白! 28 ... 7.千代の富士 144休 8.魁皇 141休 引用元: ・https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1602856650/. 8勝7敗: 前頭13: 天鎧鵬: 6勝9敗 : 旭日松: 8勝7敗: 前頭14: 木村山: 6勝9敗: 富士東: 8勝7敗: 前頭15: 佐田の富士: 5勝10敗: 隆の山: 6勝9敗: 前頭16: 優勝争い. 白鵬は7月場所を右膝負傷で途中休場。 8月には同箇所の内視鏡手術を受け、9月の秋場所を全休した。 11月場所に向けては、10月16日から行われた合同稽古には参加し新大関・正代(時津風)と番数を重ねるなど調整を続けてきたが、間に合わなかった。 2018年7月 (16) 2018年6月 (29) 2018年5月 (19) 2018年4月 (21) 2018年3月 (24) 2018年2月 (17) 2018年1月 (24) 2017年12月 (25) 2017年11月 (28) 2017年10月 (23) 2017年9月 (15) 2017年8月 (10) 2017年7月 (4) 2017年6月 (1) 白鳳も休みそうな予感がw 怪我じゃなくてガチ相撲とコロナが怖いのが理由じゃないかと . この日の大相撲中継の解説であった北の富士勝昭、実況アナウンサーの刈屋富士雄は、魁皇の勝ちであるように見えたと発言している。この相撲で魁皇は負傷し、取り直しの一番は一方的に白鵬の勝利。翌日から魁皇は休場した。翌13日目の琴欧洲、14日目の千代大海との取り組みに敗れ、横綱として初の連敗を喫し、この時点で3敗に後退して3連覇の可能性が断たれた。, 千秋楽は2002年9月場所の武蔵丸 - 貴乃花以来、実に4年10か月振りとなる横綱同士の対戦で朝青龍に寄り切りで敗れ、3連敗を喫し11勝4敗に終わった。, 翌9月場所は朝青龍が自身の不祥事の為に出場停止処分となり、実質1人横綱となった。初日に安馬(当時、後の日馬富士)に敗れ、中日までは安美錦を追う形となった。さらに11日目には豊ノ島に敗れ(自身初の金星配給)、新入幕の豪栄道に優勝争いのトップを明け渡してしまったものの、13勝2敗で横綱昇進後初となる通算4度目の優勝を果たした。, 9月場所直前、白鵬は出場停止となった朝青龍を気遣い、同情的なコメントを寄せている。8月23日には朝青龍の外出について感想を求められて「いいんじゃないですか?」と答え、朝青龍帰国に際しては「けがを治すなら、落ち着いてやるのがいい。体よりも心の痛みが強いと思う」と語った。, 11月場所では朝青龍の休場(出場停止)もあり、自身初の東横綱の座に就いたがこの場所も初日に琴奨菊に寄り切られて黒星スタートとなった。14日目に11勝2敗の相星対決で負かした大関千代大海が右肘負傷により千秋楽を休場するアクシデントが発生した為、取組を待たずに5回目の優勝が決まった。その千秋楽結びの一番の琴光喜戦では下手投げで裏返しにされて敗北し、祝勝気分に自ら水を差した格好になった。なお、日本相撲協会によれば千秋楽に優勝を争う一方の力士が休場することによって幕内最高優勝が決まったのは、1927年(昭和2年)10月の不戦勝制度適用以来初めてのことだった。また同2007年、自身初となる年間最多勝(74勝16敗)を受賞した。, 2008年1月場所、この場所から茶色の締め込みに変更する。初日から好調で優勝争いのトップを走った。そして西横綱朝青龍も白鵬に並走し、2002年9月場所の武蔵丸 - 貴乃花以来となる東西横綱同士で13勝1敗同士の相星決戦となった。注目の一番は白鵬が朝青龍を得意技の左上手投げで下し、14勝1敗で3場所連続6度目の優勝を決めた[17]。, 3月場所では4日目の平幕安美錦戦で早くも土がつき、12日目も千代大海に敗北、それまで全勝の朝青龍に引き離されていた。しかし朝青龍が12日目と13日目で土がつき、14日目の時点で両横綱共に12勝2敗で並んだため、1995年3月 - 5月場所の貴乃花 - 曙戦以来、約13年ぶりの2場所連続の千秋楽横綱相星決戦となった。結果は朝青龍に右小手投げで敗れ、4連覇を逃した[18]。, 5月場所は9日目まで全勝だったが10日目の安馬(現・日馬富士)戦で敗れた際に左足首を捻挫、その影響で優勝争いから脱落する。千秋楽結びの一番で、朝青龍に引き落とされて両手をついて敗れた後、横から駄目押しされたためか、白鵬が立ち上がり、朝青龍に右肩をぶつけ両者が睨み合うという事件を起こした。その翌日の5月26日、北の湖理事長は「悪いのは逆上した白鵬だ」との理由で、師匠の宮城野親方だけを国技館に呼び厳重注意したが、横綱審議委員らは「その直後に横綱同士が土俵の中で睨み合うのは喧嘩両成敗。朝青龍にも問題が有る」と提言。翌5月27日には当事者の白鵬と朝青龍に対し、それぞれ口頭で厳重注意の処分となった。その後白鵬は「横綱として非常に申し訳無かった。深く反省しています」と記者陣に対し謝罪していた(但し朝青龍からのコメントは一切無し)。, 7月場所は6日目から朝青龍の途中休場により1人横綱となったが、13日目に魁皇を下し7回目の優勝[19]、千秋楽には琴欧洲を上手投げで破り横綱昇進後初となる通算2度目の全勝優勝を果たした[20]。これで各場所すべて優勝(全6場所制覇)を成し遂げたことになる(歴代10人目、不知火型の横綱では初)。ちなみに歴代の不知火型の横綱で年6場所制になってからは、玉の海の優勝6回を上回り最多となり、昭和以降では年6場所制以前の羽黒山と並んだ。優勝制度が始まって以降の当時の最多記録は太刀山の9回だった。, 9月場所前の9月2日、アジアで初めて「ユネスコ・スポーツ・チャンピオン」の称号が授与された[21]。翌9月3日、第2子(長男)が誕生。, 9月場所は3日目の東前頭筆頭の琴奨菊との取り組みで左上手投げで勝ったが、立合い直後の「琴奨菊の手つき不十分」として放駒審判長(元大関・魁傑)から「待った」がかかっていた(これは行司も気づかなかった)。やり直しの一番も寄り倒しで制し、“1日2勝”することとなる[22]。5日目に稀勢の里に横綱になって初めて敗れ、19で連勝はストップし金星を与える[23]。14日目に、自分の取組前に安馬と琴光喜が敗れ、結びの一番で琴欧洲と対戦、上手投げで相手を屠って8回目の優勝を決めた。また同時に、年間勝利数が2位の安馬と16勝差となり、11月場所を残して2年連続2回目の年間最多勝(2008年は79勝)を決めた[24]。千秋楽も琴光喜を破り、14勝1敗で9月場所を終えた。, 11月場所は初日に安美錦に敗れるスタート[25]。この場所の序盤は相撲内容が良くなく、苦しみながら勝つという状況が続いて、12日目に大関昇進を目指す安馬に敗れた[26]。優勝争いは千秋楽の本割終了時点に於いて13勝2敗で安馬と並び、優勝決定戦となった。決定戦では両者白熱した攻防の末、白鵬が上手投げで安馬を下し、3場所連続9回目の優勝を果たした。この優勝で、歴代の不知火型の横綱では史上最多タイの優勝回数となった[27]。, 1月場所は初日から9連勝で4場所ぶりの土俵となった朝青龍と並んでいたが、10日目に日馬富士(当時新大関・安馬から改名)に敗れて朝青龍にリードを許した[28]。その後も全勝の朝青龍との星1つの差は変わらず、優勝争いはこの2者に絞られていった。千秋楽の本割では朝青龍を寄り倒して、14勝1敗同士の優勝決定戦に持ち込んだが、優勝決定戦で朝青龍に寄り切りで敗れて4連覇を逃した[29]。, 3月場所も朝青龍と熾烈な優勝争いを演じていた。10日目に朝青龍が日馬富士に敗れた後も単独トップを維持し、14日目に10回目の優勝を決めた。これにより、不知火型の横綱の最多優勝記録を更新した[30]。翌日の千秋楽も朝青龍を寄り切って自身3度目の全勝優勝で締めくくった[31]。, 5月場所は12日目まで日馬富士と全勝で優勝争いのトップを走っていた。13日目の全勝対決において裾払いで日馬富士を破り、33連勝になった[32]。この日の勝利で従来羽黒山が持っていた取り直し制度導入後の不知火型の連勝記録(32連勝)を更新した。だが、14日目の琴欧洲戦で、琴欧洲の上手投げを食らい、連勝記録は33で止まった[33]。千秋楽は朝青龍を寄り切って日馬富士と同成績の14勝1敗で優勝決定戦に臨んだが敗れて優勝を逃した[34]。しかし、千秋楽の白星で前年7月場所からの6場所間での勝ち星が85となり、年度にこだわらない任意の場所の連続6場所としては北の湖(1977年9月から1978年7月にかけて)に並ぶタイ記録を樹立した。, 7月場所は、11日目に琴光喜に敗れ1敗を喫するも[35]、13日目に同じく11勝1敗で並ぶ琴欧洲との直接対決を上手投げで制し単独トップに立つと[36]、そのまま千秋楽まで1敗を守り14勝1敗で11回目の優勝を決めた[37]。, 9月場所は6日目に平幕の翔天狼に初顔で金星を許して1敗[38]、その後14日目まで全勝の朝青龍を1差で追っていた。千秋楽結びの一番では朝青龍を寄り切って勝利。14勝1敗同士の優勝決定戦へもつれ込んだものの、決定戦では朝青龍に右掬い投げで敗れて、同年1月場所同様に逆転優勝はならなかった。この結果、2009年は東京場所での優勝を果たせなかった。また、年間3場所(1月・5月・9月)の決定戦での敗戦は史上初となった[39]。さらにこの3場所とも14勝1敗で優勝を逃しており、14勝1敗の成績で優勝できなかった横綱の場所数としては歴代最多となった。, しかし、先場所の時点で玉の海(1970年9月 - 1971年3月)や千代の富士(1988年5月 - 11月)と並んでいた「4場所連続14勝以上」の記録を、千秋楽の勝利で「5場所連続14勝以上」に延ばし、単独トップとなった。11月場所は14日目に琴光喜を上手投げで下し、12回目の優勝を決めるとともに年間勝ち星の新記録を達成した[40]。(この場所で同時に史上初の「6場所連続14勝以上」と「9場所連続13勝以上」を記録)更に翌日の千秋楽で朝青龍を左上手投げで下し、2005年に朝青龍が記録した年間最多勝記録84を2勝更新する86勝4敗の新記録を打ち立て、4度目の全勝優勝、九州場所3連覇で2009年を締めくくった[41]。同時に白鵬自身と北の湖がもつ、年度にこだわらない任意の場所の連続6場所での勝ち星85をも更新した。, 1月場所初日は、横綱土俵入りの所作に於いて、四股を自分の足元を見て踏む形に変更したことに気を取られたため、せり上がりを忘れるハプニングがあった。この日は2007年以来の天覧相撲となったが[42]、土俵入りは天皇・皇后の到着前だったため、大きな問題とはならなかった。, 7日目に把瑠都に敗れて連勝が30で止まり[43]、12日目に日馬富士に敗れて2008年11月場所以来となる2敗目を喫した[44]。翌13日目も2006年5月場所以降、本割で17連勝中だった魁皇に敗れ、久々の連敗で3敗となった。14日目は結び前の一番で琴欧洲に勝ったものの、朝青龍がその後結びの一番で日馬富士に勝利し、朝青龍に25回目の優勝を決められた。翌千秋楽の結びの一番、白鵬は朝青龍を寄り倒し朝青龍戦7連勝としたが、この一番が横綱朝青龍と本場所での最後の対戦となった[45]。, 1月場所後の2月4日に朝青龍が急遽現役引退を表明したため、3月場所からの番付は史上9人目の一人横綱となった。不知火型の横綱が番付上でも一人横綱となるのは、現在の型の元祖とされる太刀山以来、史上初のことである[46]。その2010年3月場所は、大関昇進を目指した関脇・把瑠都との優勝争いとなったが、11日目に把瑠都との全勝対決を制し[47]、その後も連勝を続けて15戦全勝で13回目の優勝を飾った。これによって12回優勝の双葉山と武蔵丸を抜いて、優勝回数が歴代単独6位となった[48]。ちなみに東横綱での全勝優勝は自身初。また地方場所での2年連続全勝優勝は史上初で、場所を問わない4年連続での全勝優勝達成は、双葉山、大鵬、北の湖に並ぶ記録である。, 5月場所も、把瑠都ら上位陣が星を落としていく中で連勝を続けた。そして独走の中で迎えた13日目に琴光喜を破り、輪島に並ぶ14回目の優勝を決めた[49]。14日目からは、輪島のトレードマークだった黄金色の締め込みで出場[50]。14日目は琴欧洲、千秋楽は日馬富士を退け、2場所連続6度目の全勝優勝を果たした。直近4場所で3度の全勝優勝は、15日制の下では初の快挙である。横綱昇進後の夏場所の優勝も初めてである(横綱の5月場所優勝自体2005年の朝青龍以来5年ぶり)。なお、横綱昇進後丸3年となるこの場所を終えた段階での横綱勝率は.900という近代の大相撲では驚異的な数字にまで達した。この14回目の優勝インタビューにおいて次の目標を聞かれ、「次は平成の大横綱、貴乃花関の記録に並びたい。その先は大鵬関の記録も追い抜きたい」と答えた[51]。優勝回数に関しては大鵬という大きな目標を出したが連勝記録については一切触れなかった事に関して、解説の北の富士は「連勝記録について何も言わなかったのは、彼自身、優勝は重ねていけても連勝を伸ばしていくのは難しいと実感しているからじゃないですかね。」と言っていた。, 2010年5月に起きた大相撲野球賭博問題に関連し、花札で金を賭けていたことを上申書で申告したが、賭け金が軽微とみなされ、厳重注意以外の処分は行われなかった[52]。その直後の7月場所では、14日目に日馬富士を掬い投げで下し、輪島を抜く15回目の優勝を果たした。また、46連勝を達成し、大鵬の45連勝を抜いて昭和以降では歴代3位の記録となった[53]。千秋楽も把瑠都を上手投げで下して全勝優勝を果たし、連勝記録を47に伸ばした。1場所が15日制で定着した1949年5月場所以降初となる「3場所連続15戦全勝優勝」という快挙も成し遂げた。年間3回の全勝優勝も初である[54]。, 9月場所は3日目で50連勝を達成。富岡八幡宮にある超五十連勝力士碑に名を刻むこととなった[55]。7日目には稀勢の里を押し出して54連勝とし、千代の富士の53連勝を抜いて昭和以降では単独2位となった[56]。14日目、自らの取組前に追う2敗力士が敗れたため、16回目の優勝が決定[57]。更に千秋楽、日馬富士を下し、4場所連続8回目の全勝優勝で双葉山、大鵬に並び、連勝記録も62とした。また自身がもつ、年度にこだわらない任意の場所の連続6場所での勝ち星記録86を更に塗り替え、87とした[58]。, 11月場所は初日に栃ノ心を上手投げで下し、江戸時代の大横綱・谷風に並ぶ63連勝を達成したが、2日目に稀勢の里に右上手を許してしまい寄り切りで敗れ、連勝記録として歴代2位[注 5]、昭和以降、横綱として歴代1位の記録となる63で止まった。このあと呆然とした表情で、報道陣に「これが負けか」とつぶやいている[59]。しかしその後は白星を重ねて14勝1敗で平幕の豊ノ島との優勝決定戦を制し、5場所連続17回目の優勝を達成した。また千秋楽の白星で「2年連続年間最多86勝」を樹立した[60][注 6]。後にこの連勝を止められた一番に関しては2019年の記事で「九州場所をもし全休して調整に専念していたら(休場を挟んだ記録という形でなら)連勝記録がもっと継続していたかもしれない」と冗談交じりに話している[61]。, 1月4日「白鵬横須賀後援会」が「宮城野部屋横須賀後援会」に名称変更し、新たに発足すること明らかになった。後援会関係者が「年末に師匠が交代し、今後は白鵬だけでなく部屋の後援会として発足させたい」。3代前の宮城野親方(元小結・広川)が横須賀出身だったことから、以前は部屋後援会として活動していたが、先代の宮城野親方(元十両・金親)が2004年に師匠になってからは白鵬の個人後援会になっていた[62]。, 1月場所は先場所からの連勝を再び延ばし、7日目に栃煌山を下して自身5度目の20連勝を達成するも[63]、11日目にまたしても稀勢の里に敗れ、連勝は23でストップ[64]。 千秋楽は魁皇に敗れて、2008年5月以来の千秋楽結びでの黒星となり2敗となったが、追っていた栃ノ心も千秋楽の本人の取組前に敗れたため、7場所連続(朝青龍と並んでタイ記録)19回目の優勝を果たした。, 7月場所は新記録の8連覇がかかっていたが、11日目に大関昇進を懸ける琴奨菊に初黒星を喫し、14日目には全勝だった日馬富士との直接対決に敗れ、一人横綱となって以来初めて優勝を逃した[67]。千秋楽も把瑠都に敗れ、2010年1月以来8場所ぶりの12勝3敗に終わった[68]。, 9月場所は琴奨菊と稀勢の里の両関脇と優勝を争う展開となり、11日目まで全勝も終盤に両関脇を相手に連敗(横綱昇進後初めて関脇以下の力士に連敗)。千秋楽では稀勢の里が3敗を守り2敗だった琴奨菊が敗れたため、3人での優勝決定巴戦の可能性もあったが、日馬富士を破って13勝2敗での優勝を決め、20回目の幕内優勝を達成した[69]。, 11月場所は初日から連勝を続け、優勝を争っていた新大関の琴奨菊や大関昇進のかかる稀勢の里らを退け、13日目に琴欧洲を豪快な下手投げで破り優勝を決めた(13日目での優勝決定は自身3度目)[70]。その後千秋楽で把瑠都に敗れ、全勝優勝とはならなかった[71]。また、この場所の7日目で5年連続5回目の年間最多勝を確定させたが、5年連続の年間最多勝は史上4人目のタイ記録である[72]。, 3連覇を懸ける1月場所は2日目、3日目と続けて6人の上位陣全員が勝利するなど、好調な大関陣との優勝争いとなった。白鵬自身は5日目の雅山戦で以前も負傷した経験のある左足親指を痛めるというアクシデントもありながら9日目まで連勝して星を重ねたものの、10日目にこれまで20戦全勝と圧倒していた鶴竜に初めて黒星を喫し1敗に後退[73]。全勝の把瑠都を追いかける形となったが、12日目に日馬富士の注文相撲に屈し2敗となり、あっけなく自力優勝が消滅してしまった[74]。13日目には琴欧洲に約3年ぶりの黒星を喫し連敗。これで把瑠都との星の差が3つとなり、大関に13日目に初優勝を決められるという屈辱的な展開となった[75]。千秋楽は前場所に自らの全勝優勝を阻まれた把瑠都に雪辱を果たし把瑠都の全勝優勝を阻止、12勝3敗で場所を終えた[76]。, 3月場所は順調な滑り出しで始まり、8日目には玉の海の「6場所連続」を超える史上最多記録の「7場所連続中日勝ち越し」を決めた[77]。しかし、9日目の鶴竜戦では2場所連続で敗れ[78]、その後も13日目に稀勢の里にも敗れたが、千秋楽まで1敗の鶴竜と優勝を争っていた。千秋楽ではこの日敗れて2敗になった鶴竜との決定戦を制し、逆転で貴乃花に並ぶ22回目の優勝を果たした[79]。, しかし5月場所は、初日に小結・安美錦に敗れる波乱の幕開けとなる(この一番で宮城野親方が左手人差し指を剥離骨折した事を後日表明)[80]。その後5連勝したものの、廻しが引き切れない不完全な状態のまま攻めていく相撲が目立ち、7日目に平幕の豊響に土俵際の小手投げを食らって金星を許す。8日目関脇豪栄道に攻めきれないまま体を入れ替えられて寄り切られ2連敗、9日目も関脇豊ノ島に土俵際の豪快な首投げで裏返され物言いの末敗北、新横綱だった2007年7月場所以来の3連敗を喫して5勝4敗になった[81]。これにより、2008年7月 - 2012年3月場所まで続いた幕内連続12勝以上勝利が22場所(史上1位)でストップした。途中休場も危惧された中、10日目に新大関・鶴竜を破り4日ぶりに勝利を収め[82]、12日目に8勝4敗とようやく勝ち越し[83]。14日目で10勝4敗と2桁勝利を挙げ、一時は千秋楽で11勝4敗同士の優勝決定戦進出の可能性もあったが、3敗の栃煌山の不戦勝が確定したために優勝は消滅。結局は勝ち越しを賭けた日馬富士に敗れ10勝5敗、横綱昇進後ではワーストの成績に終わった[84]。, 7月場所で横綱在位数が30場所を迎え、羽黒山と並び歴代10位タイの記録となる。この場所は初日から14日目まで大関日馬富士と共に14連勝で進んだが、千秋楽結びの一番では日馬富士の寄り切りに完敗して全勝優勝を逃し、一人横綱となってから初めて2場所連続で優勝を逃してしまった[85]。なお、この一番は、1983年9月場所で日本人横綱同士の隆の里対千代の富士戦以来29年ぶりの14戦全勝対決であるが、初めて外国人力士や大関が参加した対決となった。また、14勝1敗で優勝を逃した横綱として、2009年9月場所に横綱朝青龍に決定戦で敗れて以来、最多の通算4場所目となり(2位は羽黒山、栃錦、大鵬、貴乃花の2場所。白鵬は2009年だけで1月・5月・9月場所の3場所において、いずれも14勝1敗の決定戦で優勝を逃しており、この時点で最多)、不名誉な単独1位の更新となった。, 9月場所では横綱在位数が31場所を迎え、歴代単独10位の記録となり、不知火型の横綱では羽黒山を超える史上単独1位の記録となった。しかし10日目の栃煌山戦で敗れ、7個目の金星配給を許してしまう。千秋楽も大関で2場所連続全勝で横綱を目指した日馬富士に、大熱戦の末下手投げに敗れ13勝2敗に終わった。尚白鵬が3場所連続で幕内優勝を逃したのは、横綱に昇進して以降初めてとなる[86]。, 翌11月場所は日馬富士が第70代横綱に昇進。新横綱誕生は2007年7月の白鵬以来32場所ぶり、東西二人の横綱が出揃うのは2010年1月の朝青龍と白鵬以来16場所ぶりとなった。なお日馬富士も横綱土俵入りは不知火型を選択したが、本場所で不知火型の土俵入りを複数披露する横綱は大相撲史上初めて。また白鵬の横綱在位数32場所は、千代の山と並ぶ歴代9位タイ記録である。この場所は11日目に大関琴欧洲に初黒星を喫したが翌12日目の大関・琴奨菊戦は勝利し、本人の取組後に日馬富士が敗れたため、大相撲史上初の6年連続での年間最多勝を確定させた[87]。また14日目に琴奨菊が旭天鵬に勝利したことで、貴乃花を上回る4場所ぶり23回目の幕内優勝(大鵬、千代の富士、朝青龍、北の湖に次ぐ史上5位)[88]、さらに九州場所6連覇(同場所の史上最多数は千代の富士の8連覇・1981年 - 1988年)を達成した。2010年1月場所以来となった千秋楽結びの横綱同士の一番でも新横綱日馬富士を破り、14勝1敗で取り終えた。, 1月場所で横綱在位数が33場所となり、歴代単独9位に。しかし序盤3日目、妙義龍戦で自身8個目の金星を許して1敗[89]。その後12日目に琴欧洲にも敗れ2敗に後退。結局同場所を無敗で進む日馬富士を逆転できず、14日目に優勝をさらわれてしまった[90]。千秋楽も日馬富士に敗れて12勝3敗に終わった。, 3月場所は2009年11月場所以来、19場所ぶりに西横綱の地位となった。この場所は序盤から好調であり中日に勢を上手投げで下し、中日勝ち越し場所を26場所とし、千代の富士の25場所を抜いて歴代1位となった[91]。さらに10日目、大相撲の末把瑠都を上手出し投げで下して10連勝、幕内連続2桁勝利記録が37場所となり北の湖と並び歴代1位タイ記録となった[92]。その後も全勝を守り13日目に豪栄道を上手投げで破り、前の取組で2敗で追っていた隠岐の海が栃煌山に送り出しで破れ3敗に後退したため、歴代4位の北の湖に並ぶ24回目の優勝を千秋楽を待たずに決めた[93]。千秋楽は日馬富士を上手投げで破り、9度目の全勝優勝を決めた。これにより全勝優勝回数でも双葉山、大鵬を抜いて歴代単独1位となった[94]。, 5月場所も先場所同様無敗で中日勝ち越し。10日目に豪栄道をとったりで下し10連勝、幕内連続2桁勝利記録が38場所となり、長年北の湖が保持した記録をついに破って歴代単独1位に[95]。翌11日目の琴欧洲戦も上手投げで下して、横綱勝利数が467勝目に達し輪島を超える歴代4位の記録となった。そして14日目、稀勢の里と13戦全勝同士の対決は、大熱戦の末白鵬が掬い投げで制し単独トップに立った。翌日の千秋楽は、結び前の一番で稀勢の里が琴奨菊に寄り倒され13勝2敗となった時点で、歴代3位の朝青龍と並ぶ白鵬の25回目の優勝が決定。そして結びの一番では日馬富士を寄り切って、大相撲史上初の二桁となる10度目の全勝、さらに2場所連続全勝優勝(3月場所初日から30連勝)も達成した[96]。場所後に優勝記録で朝青龍と並んだことから本人から祝福された一方で「偉大なる私に追いついたと思うのは100年早いぞ」と朝青龍なりに威厳を誇示するコメントも寄せられた[97]。, 7月場所も先場所同様無敗で中日勝ち越し。10日目に妙義龍を小手投げで下し10連勝、史上初となる2回目の40連勝を達成した[98]。12日目の琴奨菊戦で右わき腹を負傷したが[99]、痛みを抱えながらも13日目に琴欧洲戦に勝利し、歴代単独3位の26度目の優勝を決め、自身の連勝も43まで伸ばしたが、翌14日目稀勢の里に寄り倒しで敗れ、3年前同様稀勢の里に再び連勝を止められた[100]。千秋楽は日馬富士に一方的に押し出され、13勝2敗に終わった。しかし千秋楽一夜明け会見では「あの男を超えられてよかった。これで、もう文句言わないだろうな。こういう気分で、しばらく、威張っていたい」と朝青龍の優勝25回の記録を超えたことで上機嫌な様子を見せていた[101]。, 9月場所も、初日から8連勝で史上最多の29度目の中日勝ち越しを決めた。また、中日には宝富士に、1997年3月場所9日目に貴乃花が剣晃に決めて以来、16年ぶりの呼び戻しでの勝利を飾った[注 7]。しかし10日目に豪栄道に押し出され初黒星を喫した。その後は白星を重ね、14日目に先場所連勝を43で止められた稀勢の里を叩き込みで下し、4場所連続27回目の優勝を14日目に決めた。千秋楽も日馬富士を小手投げで下し、14勝1敗の成績で締めくくった。14勝以上の場所は23度目で、共に22度の大鵬、千代の富士を抜いて単独最多となった。, 11月場所は2日目の隠岐の海戦に勝利した時点で、7年連続7回目の年間最多勝を確定させる(7回目の年間最多勝は北の湖と並び史上1位タイ)[103]。また10日目の栃乃若戦で10連勝、横綱在位中の連続2桁勝利記録が38場所となる(従来は北の湖の37場所)[104]。さらに11日目の栃煌山戦の勝利で、史上最多となる年間最多勝80勝以上を3回(2009年86勝・2010年86勝・2013年)達成した(過去は北の湖の1977年80勝・1978年82勝、貴乃花の1994年・1995年共に80勝の、各2回が最多記録)[105]。しかし14日目、稀勢の里を土俵際に追い込んで下手投げを打つも、逆に上手投げで投げ捨てられて初黒星を喫した。千秋楽結びの一番は日馬富士との13勝1敗同士の相星決戦となったが、立ち合いで変化されて土俵際に追い込まれ、こらえたかに見えたがわずかにかかとが出ており敗れた。これにより、2010年11月場所以来の5連覇と11月場所での7連覇をも逃した[106]。, 1月場所では初日に栃煌山を押し出しで破り、大鵬の記録を更新する史上最速の76場所での通算800勝(前相撲を除く)を挙げ[107]、続く2日目には豊ノ島を引き落としで破り、幕内通算707勝として武蔵丸を抜いて、外国人力士の最多勝利を更新した[108]。5連勝で5日目で早くも単独トップとなると[109]、中日には自身2度目の6場所連続での中日勝ち越しを決め[110]、10日目には10連勝で通算50度目の二桁勝利とした[111]。しかし、14連勝で迎えた千秋楽の結びの一番では1敗の鶴竜に寄り倒しで敗れ、14勝1敗同士で優勝決定戦となるが、決定戦では鶴竜を寄り切りで破り、2場所ぶり28度目の幕内最高優勝を果たした[112]。, 3月場所は初日から12連勝、また8日目には自身と並ぶ「7場所連続幕内中日勝ち越し」の史上1位タイ記録を達成。しかし13日目に琴奨菊に敗れた時に右手を負傷してしまう。このケガの影響で14日目に綱獲りを狙った鶴竜に寄り切られて2敗に後退、千秋楽では日馬富士と対戦し同体で取り直しとなるも敗れて3連敗となり、優勝を逃した。, 5月場所では「8場所連続幕内中日勝ち越し」を達成し、史上単独1位の記録となった[113]。11日目に豪栄道に押し出される不覚でついに連勝ストップ。翌12日目の結びの一番(鶴竜 - 豪栄道)では、勝ち残りで東の土俵下に座っていた白鵬が、行司の判定に異議があるとして物言いをつけた。協議の結果、豪栄道がはたき込んだ際にまげをつかんだとして、鶴竜が反則勝ちを得た。幕内の取組で土俵下に控えていた力士が物言いをつけたのは、1996年1月場所の当時大関だった貴ノ浪以来18年ぶり[114]。14日目の新横綱・鶴竜戦でも危なげなく寄り切り、千秋楽結びの一番も日馬富士を豪快な上手投げで破り14勝1敗、2場所ぶり29回目の幕内優勝となった[115]。, 7月場所は横綱在位42場所となり、朝青龍と並んで歴代8位タイの記録となる。同場所で「連続幕内中日勝ち越し」が9場所となり、自身の記録を更新。しかし11日目に豪栄道に浴びせ倒しで敗れ初黒星を喫した[116]。13日目も大関・稀勢の里に小手投げで敗れ2敗に後退。しかし千秋楽に日馬富士を上手出し投げで下し、13勝2敗で史上3人目の幕内優勝30回を達成した[117]。, 9月場所は横綱在位43場所を迎え、朝青龍を抜き歴代単独8位の記録に。同場所も初日から8連勝、「連続幕内中日勝ち越し」が10場所となり、大相撲史上初の2桁記録を達成。9日目に全勝で単独トップに立ち[118]、その後12連勝としたが、13日目にここまで2連敗と苦手の豪栄道に敗れ初黒星を喫した[119]。これにより新入幕で同モンゴル出身の逸ノ城と1敗同士で並んだ。翌14日目にその逸ノ城と対戦(これにより大関・琴奨菊との取組が消滅)し、上手出し投げで破り再び単独トップに立つと[120]、千秋楽も横綱・鶴竜を掛け投げで破り、14勝1敗で千代の富士と並ぶ史上2位の通算31度目の幕内優勝を達成した[121]。, 11月場所は6日目に髙安に敗れ、自身9個目の金星を許し2年ぶりに前半戦で1敗を喫した。その後は白星を並べ、7日目に大鵬と並ぶ872勝にならび、8日目の照ノ富士戦に勝利した時点で、史上1位となる8年連続8回目の年間最多勝を確定させる。13日目に単独トップに立ち、14日目の日馬富士戦で2年連続通算4回目の年間80勝を達成。千秋楽結びの一番の鶴竜を寄り切りで下し[122]4場所連続優勝。大鵬と同じ年間勝利数81勝で、同じく大鵬の優勝回数に並ぶ32回目の優勝を果たした[123]。, 1月場所では初日に栃煌山を突き落としで破り、続く2日目にも栃ノ心を下手投げで負かし、危なげなく着実に白星を挙げていく。12連勝で迎えた13日目、10勝2敗で白鵬を追う大関の稀勢の里を押し倒しで破り、大鵬が保持していた幕内最高優勝記録である32回を上回る33回目の優勝。歴代1位となった[124]。この優勝は大鵬に続いて大相撲史上二人目の2回目の5連覇で13日目での優勝は2013年名古屋場所以来6度目で自身の最多記録を更新[125]。続く14日目、横綱日馬富士を破り、史上最速で幕内800勝を達成した。千秋楽には鶴竜を寄り切りで破り、9場所ぶり通算11度目の15戦全勝を果たし、大相撲史上初の各場所すべて全勝優勝(全6場所全勝制覇)を成し遂げた[126]。15日目の懸賞金では史上最多の61本(183万円)を獲得した。しかし後述の審判批判を行ったことで相撲協会から問題視された。, 3月場所では初日の妙義龍戦は押し倒し、続く2日目の佐田の海戦では上手投げで勝利し、順当に星を積み重ねる。6日目の髙安戦では引き落としで勝利し、自身5度目の30連勝を達成する。13日目に好調の関脇・照ノ富士に敗れたものの、14日目は稀勢の里、千秋楽は敗れれば照ノ富士と優勝決定戦という状況だった。自身の弟弟子の照ノ富士に援護射撃をしたい日馬富士戦では2分を超える大熱戦の上勝利し、34回目の優勝を果たした他、自身2度目の6連覇を果たした。, 史上初の2度目の7連覇を狙った5月場所では初日でいきなり逸ノ城に敗れ、2012年5月場所以来3年ぶりとなる初日黒星スタートで波乱の幕開けとなった[127]。しかし、2日目以降は宝富士を寄り切りで破り、翌3日目も栃ノ心に寄り切りで勝利し、着実に白星を重ねていった。5日目には栃煌山を上手投げで破り、横綱在位中の勝ち星が626となり、千代の富士を抜いて歴代単独2位となった[128]。しかし12日目、直近1年の対戦成績が3勝3敗と苦手にしている豪栄道に土俵際で十八番の首投げを食らって敗れ、2014年7月場所以来6場所ぶりの2敗となった[129]。さらに14日目には稀勢の里にこれまた土俵際で十八番の突き落としで敗れ、2014年3月場所以来約1年ぶりの3敗となった[130]。優勝争いのトップとなる3敗が白鵬・照ノ富士の2人、4敗が6人と大混戦で迎えた千秋楽、照ノ富士が敗れて白鵬が勝てば前人未到となる自身2度目の7連覇だったが、照ノ富士が碧山に勝利し、「白鵬が日馬富士に勝てば照ノ富士と優勝決定戦」となった。自身2度目の7連覇を狙って挑んだ照ノ富士の兄弟子の日馬富士戦。立ち合いから一気に土俵際まで押し込んで勝負あったかと思われたが、俵を蹴り台に使うという奇襲から体が浮き上がるほどの低い突進を食らって中に潜り込まれ、そのまま何もできずに寄り倒されてしまい、惜しくも優勝はならなかった[131]。この場所は11勝4敗で取り終え、2012年7月場所から続いた連続12勝以上勝利記録は17場所で途切れた。白鵬が4敗以上するのは2012年5月場所以来3年ぶりであった。, 7月場所では9日目の逸ノ城との対戦に勝利して初日から9連勝を記録。しかし、勝負が決まった後に逸ノ城に対して右手で顎にアッパーをしたことで、土俵下で審判長を務めた藤島審判部副部長から「見苦しい? 見苦しいでしょう。相手が(土俵を)出ていないと思って行ったのならダメ押しじゃないけど、出てると思って(やったの)ならダメ押しでしょう。一番、番付が上なのだから、見本になるような立ち居振る舞いをしてもらいたい」と苦言を受けた[132]。翌日は栃煌山に叩き込みで敗れるもこの1敗を守り、今場所は14勝1敗で2場所ぶりに35度目の優勝を果たした[133]。, 9月場所は初日に小結・隠岐の海、2日目に前頭筆頭・嘉風と、過去に一度も負けたことのない相手に2日続けて敗れた。嘉風に敗れたことで自身10個目の金星配給となり、白鵬が小結時代の2005年11月場所以来、また横綱になって初めての連敗スタートとなった。場所前の稽古で左膝を痛めており、「左大腿四頭筋腱炎で4週間の加療を要する見込み」との診断書を提出し、3日目の碧山戦で不戦敗となり、4日目から横綱昇進後初の休場となった。これにより昭和以降1位の幕内連続勝ち越し、連続2桁勝利記録はともに51場所でストップ、史上1位の横綱としての連続出場記録は722回で途切れることになった[134]。, 横綱昇進後初の休場明け場所となった11月場所は初日から12連勝と好調で、9年連続の年間最多勝を獲得した。しかし、13日目に1敗で追っていた日馬富士に変化からの一気の寄り倒しに敗れ、1敗に後退。さらに14日目には照ノ富士との2分を超える大相撲の末に寄り切られ、日馬富士に逆転を許してしまう。千秋楽では先に日馬富士が稀勢の里に敗れたため、勝てば優勝決定戦であったが、鶴竜にもろ差しを食らって寄り切られてそれは成らず。2014年春場所以来となる12連勝からの終盤3連敗で日馬富士に優勝をさらわれ、場所を終えた。白鵬が西横綱の地位で優勝を逃したのは2008年夏場所以来のことで、また2場所連続で優勝を逃したのは2012年5・7・9月までの3場所連続以来のことである。, 1月場所は大関・琴奨菊と共に初日から10連勝、5日目の碧山戦で北の湖と並ぶ通算951勝(史上4位タイ)となり、6日目の栃ノ心戦で歴代単独4位となる通算952勝目に。しかし11日目の琴奨菊戦で押し出されてついに初黒星。さらに14日目の稀勢の里戦でも一方的に押し出されて2敗に。この敗戦で通算200敗目を喫した。千秋楽結びの一番の日馬富士戦でも呆気無く上手投げに敗れ3敗。結局幕内優勝は、日本出身力士として大関・琴奨菊が栃東以来10年ぶりに達成した事により、白鵬は横綱昇進後2度目の3場所連続して優勝を逃す格好となった。, 3月場所は自身初の3場所連続西横綱の場所となった。初日、一度も負けたことのない宝富士に寄り切られ先場所14日目から3連敗に。2日目は前頭筆頭にまで番付を上げた琴勇輝と初顔合わせの一番を制して北の湖を抜いて単独1位となる横綱通算671勝とした。その後は白星を続け、11日目にはここまで全勝の稀勢の里を圧倒。続く12日目には同じく1敗の豪栄道を倒し、14日目には先場所敗れた琴奨菊に快勝し、千秋楽では日馬富士との横綱対決を制し、最終的には14勝1敗で単独優勝、36回目の幕内優勝を果たした。この場所の千秋楽結びの一番での日馬富士戦での立合いで批判を浴び、表彰式での優勝インタビューでは、涙ながらに謝罪する場面もあった。また、場所後の会見で「(36度目の優勝を)ずっと目標としてやってましたから。やっとオヤジにいい報告ができる。体を悪くして、アルツハイマーの病気をしてますから」と父がアルツハイマー病を患っていることを明かし、「難しいことを言ったら分からないところがある。最近のことが分からない。昔のことはよく思い出すみたい」と病状を説明。「支えてくれて感謝している。今度は私の番。親として3人の子供がいますからね。立派な力士を作っていきたいね」と将来の抱負も話した[135]。, 5月場所は前場所2日目からの連勝を継続し、2日目に魁皇の持っていた幕内最多勝利記録879勝を更新。幕内勝利数が歴代単独一位となる[136]。4日目には初顔の正代を押し出して4連勝し初顔27連勝となり歴代単独3位に浮上[137]。6日目には先場所からの連勝を20に伸ばし自身8度目の20連勝とする。さらに8日目で勝ち越し、自身が持つストレート給金の最多記録を41(1949年の1場所15日制定着以降)に更新[138]。13日目には初日から同じく連勝を続けていた大関稀勢の里との全勝対決を左下手投げで制して単独トップに立った[139]。翌日、日馬富士との横綱対決を寄り切りで制し、1敗で追っていた稀勢の里が鶴竜に寄り切りで敗れたため千秋楽を残して2場所連続37回目の優勝を決めた[140]。14日目までに優勝を決定させるのは16度目となり、千代の富士を抜いて歴代単独1位となった。場所前に受け入れ先となってくれた摂津倉庫の浅野毅会長が、4月23日に内臓疾患で死去。「春場所が終わってから病院で30分くらい話した。息が詰まって苦しそうだった。懸賞金をそのときにあげた。喜んでくれて、奥さんが見える場所に置いてくれた。天国から見守ってくれれば、と思います。恥をかかせない、という気持ち」と記者へ恩師にささげる優勝だったことも明かした[141]。千秋楽も激戦の末にうっちゃりで鶴竜を下して自身の最多記録を更新する12度目の全勝優勝を決めた[142]。優勝インタビューでは「一年半ぶりの優勝が東京で本当にうれしい。全勝は気持ちいい。場所前には古傷を痛め、3日目から足を痛めていてどうなるかと思ったが自分を奮い立たせた。自分では分からないけど、土俵に上がると違う白鵬がいるようだった。土俵を下りたら優しいというね。五月場所が終わったら、横綱に昇進して10年目に入るので、頑張ろうという気持ちで一生懸命やっていた。大鵬関の32回目の優勝を超えてから目標がなくなり、いろいろ大変な時期があったけど1000勝というものが燃えさせてくれた。名古屋場所で応援してくれる方に見せられればと思うけど、ゆっくり休みたい」と話した[143]。, 7月場所は前々場所からの連勝を継続し、初日に横綱勝利700勝を記録、さらに自己記録更新となる史上6回目の30連勝を記録。3日目には御嶽海を寄り切り初顔への連勝を玉錦に並ぶ史上2位の28とした[144]。だが、5日目に宝富士に敗れ33連勝で連勝が止まる。また、33連勝のスタート前の黒星も宝富士であった。8日目には幕内勝利900勝を記録したが、9日目に一度も負けたことのない勢に足を滑らせて敗れ2敗となり、通算12個目の金星配給。9日目までの時点で2敗したのは2012年夏場所以来4年ぶりのことである。さらに勢戦で古傷だった右足親指を痛めてしまう(場所後に右足親指は骨折だったと判明した[145])。10日目栃ノ心に勝利し、初顔合わせから23連勝の歴代2位タイ記録をつくるも[146]、怪我が影響したか12日目の照ノ富士戦で待ったがかかり取り直したとなった取組で敗戦し3敗に後退し通算1000勝は来場所へ持ち越しになった[147][注 8]。翌日の豪栄道戦は勝利し2ケタ勝利としたものの、14日目は12日目に続いてこの日も待ったがかかり取り直しとなった一番で土俵際で稀勢の里に逆転され優勝争いから脱落した。取組後「もういいやと思った」と照ノ富士戦に続いての待ったにリズムが崩されたことを明かし「合っているのに…」と際どい待ったで気持ちの整理が出来なかったことも呟いていた。そして、土俵際まで攻め込んでの逆転負けに「あれで負けたら仕方ない。相撲に勝って勝負に負けた」と敗戦を認め、千秋楽については「今日みたいに前に出られれば」と気持ちを切り替えていた[148]。迎えた千秋楽、優勝をかけて土俵に上がった日馬富士に敗れ10勝5敗で場所を終えた。皆勤での1場所5敗は2012年5月場所以来4年2か月ぶりであり、休場した2015年9月場所を除くと横綱昇進以来、2012年5月場所に並ぶワーストタイの低成績である[注 9]。白鵬が日馬富士に敗れたため3敗で追っていた稀勢の里、貴ノ岩は優勝次点で終了し、優勝決定戦にはならず日馬富士は8度目の優勝を決めた[149]。, 7月場所後の巡業は怪我を押して出場したものの[150]、9月場所前には7月場所9日目の怪我の影響で四股やすり足すらできず、9月6日には手押し相撲や足の上げ下げなど軽めの調整をしながら出場を検討していた。[151] しかし土俵に上がれる状態ではなく、8日に日本相撲協会に「左膝タナ障害」「右母趾(ぼし)伸筋腱(けん)損傷」「右足関節炎」で全治4週間の診断書を提出し、9月場所の全休を発表した。[150][152] 10月20日、大相撲秋巡業京都場所で復帰し、土俵入りを行った[153]。, 11月場所は復帰し自身初の東横綱2の番付で場所に挑む。そして、2016年11月15日、魁聖戦で勝利して通算1000勝を達成した。取組後のインタビューで、史上初めて通算1000勝を達成した千代の富士貢と同様に「(次の目標は)1001勝です」と答えた。しかし、6日目に遠藤に不覚をとり、さらに10日目にも土俵際で勝利したと思ったところを稀勢の里に脚一本で残され敗れてしまう。白鵬は「決まったと思った。休場で勝負勘が足りないのかもしれない」と首をかしげていた。弟弟子石浦の活躍には「一気に来たね。うれしいね」とコメントしていた[154]。また、場所前に痛風を発症し故障の完治が遅れていたことなども判明。八角理事長は「休場明けにしてはよくやったと思う。最後に稽古不足が出た。場所前がいつも通りではなかったわけだから」とコメントした[155]。翌日は勝利するも12日目から照ノ富士、鶴竜と連敗し優勝争いから脱落。だが、この場所14日目に優勝争いしていた横綱日馬富士、千秋楽は綱取りだった豪栄道を倒し11勝4敗で休場明けの場所を終えた。場所後の12月14日、第4子となる三女が誕生[156]。, 前場所と同じく東横綱2で迎えた2017年1月場所は順調に初日から連勝。4日目に栃ノ心に寄り切りで勝利し同一取組の初顔合わせからの連勝では歴代単独2位を記録した[157]。7日目には横綱出場回数が歴代1位となる819回目となり並んでいた北の湖の記録を更新しこの日の取組にも勝利している[158]。しかし、8日目に初顔合わせとなった荒鷲に立合い変化されそこは素早く対応をするも廻しを取られ劣勢になり、そのあとのこの場所鶴竜戦でも見せていた荒鷲の速攻に勢いよく時計回りに体を回されて不意をつかれて寄り切られる不覚をとり、中日での勝ち越しならず、初顔合わせの連勝も28で止まり1敗に後退した。荒鷲はここまで鶴竜戦での金星以外の勝ちが無くこの場所2勝目を2個目の金星であげることになった[159]。白鵬は支度部屋でも何度も首を振り厳しい表情を見せつつ「まあ見ての通り。こういうこともある」と話し、どこか隙があったことを認めて気持ちを切り替え、1差で追う展開には「もうダメー」と笑う余裕も見せていた[160]。だが、翌日の小結高安戦は立合いから攻め込まれ連敗。2敗に後退した。また全勝だった稀勢の里も敗れたため1差は変わらず。白鵬は「気合いが空回りした」と稀勢の里の敗戦後の取組を反省しながらも古傷の右足親指を気にするそぶりも見せ体調がまだ万全ではない様子も見せ「立ち合いで勝負あった」「横綱でも、ちょっとズレがあると負けるということ」と相撲の難しさを淡々と語っていた。そして「一番一番だよ」と勝負どころを見据えて気合いを入れていた[161][162]。10日目の勢戦は危なげなく勝利し勝ち越し。また、昨年の名古屋場所で勢に敗れた際に右足親指を負傷しこの怪我のために左膝の痛みがぶり返した。それ以来の因縁の対戦とあって「きょうはリベンジというか突いていく意志を固めていった」といつも以上に気合いが入っていたと語っていた[163]。また、11日目までに日馬富士、鶴竜ともに休場したためこの場所横綱は白鵬のみとなり、14日目は上位陣の休場が相次いだためこの場所優勝争いしていた平幕の貴ノ岩との対戦が初めて組まれる。実力差からすると勝利が濃厚だったが、一方的に寄り切られるというまさかの展開で敗れ、3敗に後退。8日目の荒鷲戦に続き初顔2連敗となり、横綱昇進後自身初の結果となった。この日稀勢の里が勝利したため、横綱昇進後初めて4場所続けて優勝を逃したと同時に稀勢の里の横綱昇進を許す結果となった。この日敗戦してしまった白鵬は初優勝を決めた稀勢の里について「おめでとう、だね」と祝福の言葉を贈り「強い大関がいて良かった」と稀勢の里の活躍を笑みを浮かべて褒め称えていた。千秋楽での稀勢の里との直接対決前には「明日もいい相撲取るだけ」と語った[164]。千秋楽の稀勢の里との対戦は立合いから敢えて稀勢の里得意の左四つに組み一気に攻め込むも、土俵際のすくい投げで敗れ、2場所連続11勝4敗で場所を終えた。白鵬は稀勢の里を「最初は軽いと思ったが土俵際で残された。土俵際で強かったね。強い大関になった感じ」と語り、稀勢の里に「強い人が大関になり、宿命を持った人が横綱になる」と言ってきた白鵬は横綱昇進への最後の壁として「今日は宿命というか、運命に任せたんだけどね。強い大関が優勝しましたね」と勝利を称えて言葉を贈った[165]。また、今場所を「取りこぼしがあり過ぎた」と反省。来場所については「精いっぱいやっていい相撲を取りたい」と語っていた[166]。, 3月場所は稀勢の里の昇進で4横綱となり、自身は東横綱として番付最上位で迎える。しかし、場所前に右足裏を痛め、初日の正代戦で突き落としで敗れた際に傷が悪化。4日目には勢に圧倒される形で寄り倒され(物言いがついたが軍配通り敗北)、通算15個目の金星配給となる。患部をかばっているうちに他の場所まで悪化し結局、翌日の5日目から「右母趾捻挫、右大腿筋群損傷で3週間の加療を要する」との診断書を提出して休場した。5日目対戦予定だった御嶽海が不戦勝。休場は5度目で、横綱昇進後は3度目[167]。この休場で横綱になって5場所続けて優勝から遠ざかる格好となってしまった。その後モンゴルに帰国してリハビリに取り組み、ヨガや食事療法なども行い、春巡業は靖国神社奉納大相撲から参加した。久しぶりに土俵に上がった白鵬は「春巡業の優勝争いはテレビで見ていた。稀勢の里は横綱の責任を果たしてくれた。今度は自分が優勝するという気持ちになりました」と5月場所で1年ぶりの賜杯奪還を果たすことに意欲を見せた[168]。さらに白鵬は「知人からは40回以上の優勝は誰もいないと言われて体が熱くなりました。いつ達成できるか分からないが、大台の40回を平成の土俵で見せたいです」と新たな目標に向かう決意を語った[168][169]。3月場所後、宮城野から「いっぺんやってみたら」とこれまで主義として行わなかった筋力トレーニングによる強化を提案され、これまで以上に体をいじめ抜き、宮城野に「死ぬかと思った。こんなにきついのは大関に上がる時以来だった」と漏らすほど自らを追い込んだ[170]。, 5月場所は自身初の西横綱2の番付で迎える。初日から好調で2016年夏場所以来となる中日勝ち越しを記録した[171]。10日目の高安戦では高安の馬力を警戒して右の張り手から右に動き、左上手を確実に取りに行き、寄り切れないと判断した後は頭を付けた(寄り倒しで白鵬の勝ち)。この相撲は場所後の尾車のコラムでも触れられている[172]。そのまま勢いに乗って14連勝で38度目の優勝を決めた。1年ぶりの優勝に白鵬は「長かったかなと、改めて自分と見つめ合い、土俵に感謝していた」「全部特別だけど、今回はひと味違う」「頑張って努力すれば、こうやってやれると示せた。休んだ分、暴れてやろうという気持ちでやった」と感慨深げに語っていた[173]。5月場所は8回目の優勝でこれで大鵬に並ぶ12年連続の優勝となった。千秋楽も日馬富士を倒し自身の記録を更新する13回目の全勝優勝を決めた。優勝インタビューでは「ただ今、帰りました!」と挨拶した。また、5月場所は2年連続の全勝優勝となった[174]。一夜明け会見では3日目の千代翔馬戦で左足親指を打撲(あるいは脱臼)したことを明かしている[175]。, 7月場所は東横綱で迎え、5日目には先場所から20連勝で大鵬に並ぶ9度目の20連勝。さらに先場所に続き中日勝ち越しを記録した。さらに9日目には平幕の輝と対戦し勝利。歴代2位の勝ち星だった千代の富士に並び、翌日の千代の富士の弟子だった千代翔馬に勝利し、千代の富士の記録を抜いた。番付では東前頭5枚目と対戦する可能性は低いが横綱、大関と休場が相次いだために実現し、白鵬は「巡り合わせというかね。弟子に勝って恩返しできたのかな」と笑みを浮かべた[176]。だが、11日目はこの場所横綱稀勢の里を倒すなど好調だった関脇の御嶽海に土俵際で粘るも敗れて黒星。先場所からの連勝は25で止まった。白鵬は記録への重圧などもあって硬くなったかもしれないと口にしていた。しかし、翌日は問題なく関脇の玉鷲を倒し、歴代1位の魁皇に並ぶ1047勝目を記録した。翌13日目の7月21日、大関の高安を押し倒しで下して1048勝とし、前人未到の新記録を達成した。白鵬はインタビューで「満足しています。硬くはなかったんですけど、ちょっと安心したというのがありましたね。相撲は奥が深い。秋場所じゃなくて名古屋場所で応援してくれる人の前で決めることができて良かったですね」とコメントしていた[177]。このまま勢いに乗り千秋楽まで全て勝利し14勝1敗で39回目の優勝を決めた。自身9回目の連覇で名古屋場所は7回目の優勝。白鵬は優勝インタビューで39回目の優勝にかけて「名古屋のみなさん、サン・キュー!」と言っており[178][179]、「11日目に負けてしまいましたが、そのあと(の相撲)が良かったので、もう1番あると信じて、気楽に土俵に上がりました」と、御嶽海に敗れた後に、自らの気力を奮い起こしたことを明らかにした[178]。インタビューではまた、誰も歩いたことがない道をどんな思いであるくかと聞かれて、子供の頃に過ごしたモンゴルの草原を思い出したのか「ゆっくりあしたからふるさとに帰って休む」と語った上で「幕内1000勝を目指します」と新たな目標を示して飽くなき挑戦心を見せていた[178]。, 7月30日から始まった夏巡業では、他の3横綱が休場する中で「自分が休んだ時も他が頑張ってくれた。今回は託されたと思って」と夏巡業を1人横綱としてまっとうする決意を口にした[180]。しかし、7月場所前に発症した左膝痛の治療に専念せざるをえなくなり8月13日から無念の帰京となった[181][182]。, 症状は場所前になってもおさまらず結局、9月場所は左大腿四頭筋腱炎、左足関節靱帯損傷で7日から約3週間の投薬リハビリテーション加療を要する見込みとの診断書を提出して休場した[183]。宮城野親方は左ヒザの炎症で全治3、4週間と説明[184]し「横綱は無理をして変な相撲を取って途中から休場など迷惑をかけるなら万全で出たいという気持ちがあったのでは」と説明していた[185]。休場した9月場所中には4日間の断食に取り組むなどして調整し、体重を10㎏落とした[186]。11月3日、福岡県内の宮城野部屋九州場所稽古場に出稽古に訪れた錣山部屋の十両青狼、阿炎と申し合いを行い、計12番で全勝[187]。, 11月場所は西横綱で迎える。しかし、初日から鶴竜が休場。さらに3日目から日馬富士が休場し残りの稀勢の里まで10日目に休場してしまい、横綱は自身一人だけになってしまう。そんな中でも初日から連勝し8日目にストレート勝ち越しを決めた。白鵬の中日勝ち越しは44回目となった[188]。そのまま連勝していたが11日目に立ち合いで先に嘉風の顔を張ったがそのまま嘉風に攻められ黒星。1敗となった。白鵬は立ち合いが合わなかったと納得がいかないアピールで取組が終わったあともしばらく土俵下に残り物言いをつけたが認められず、翌日審判部から厳重注意と取り組みを行った力士には物言いを付ける権利が無いという規則説明を受け受け、「真摯に受け止めて、きちんとします」と反省の言葉を述べた[189]。この12日目の取組は休場前の7月場所で不覚を取っていた御嶽海だったが何もさせずに勝利している。また取組後に「申し訳なかった」とファンに謝罪し「ファンの皆さんもあんな(中途半端な)相撲を見たくなかっただろうし、だから(取組の映像を)見てほしかった」と語っていた[190]。13日目の宝富士戦は本人もいる人がいなかったという薄氷の勝利でなんとか勝ち2年ぶり10度目の年間最多勝を達成した。14日目に2敗で追っていた力士が破れ自らは勝利したため40回目の優勝を決めた。白鵬は「3月に休んだ時に、後援会の方から『30回優勝した人は3人いるが、40回は誰もいない』と言われ、体が熱くなった。ちくちくするものがあった」と気合が入っていたことを明かし「7年前野球賭博問題に揺れた名古屋場所に大変な場所を経験した。二度とこういうことがないようにという気持ちを持っていた。本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。ファンの温かい声援が本当にありがたい」と語っていた[191]。千秋楽も勝利し14勝1敗で場所を終える。優勝インタビューでは改めて東京オリンピックまで現役を続けることを誓い、さらに「場所後に真実を話し、うみを出し切って、(暴行問題の当事者である)日馬富士関と貴ノ岩関を、再びこの土俵に上げてあげたいと思います」と宣言。また、2017年に取り組んでいたヨガや断食の効果が出ており、稽古は嘘をつかないものだとも話していた。次なる目標として幕内1000勝を掲げ、最後に観客と共に万歳三唱を行った[192]。角界が不祥事に揺れており白鵬本人も場所中に自身の取組に「物言い」を求める事態を引き起こした中でのこの万歳三唱に関しては有識者からも批判が出ており、やくみつるは「暴行現場に同席した当事者の一人という自覚があれば、冗舌に語ることが許されないのはわかるだろうし、万歳をお願いできるわけがない。独善的な行動で問題の深刻さを全くわかっていない」と朝日新聞の記事で話していた。また、スポーツ評論家の玉木正之は「土俵に戻る戻らないは、相撲協会が決めることで、横綱が決めることではない。最近の白鵬は少し傲慢ではないか。それを許している協会にも責任がある」と断じた[193]。2017年は56勝9敗25休(内1敗は不戦敗)で年間最多勝を獲得。しかし春場所と秋場所を休場し、計26も取組の少ない白鵬が獲得したことについて、朝日新聞の記事は「お寒い限りだった」と評している[192]。, 1月4日、日馬富士の貴ノ岩への暴行を現場にいながら止められなかったとして、日本相撲協会は1月の給与不支給。2月の給与の50%減額という処分を下した[194]。1月場所直前の1月8日の出稽古から、横綱審議委員会から指摘されたかち上げ、張り手を中心とする取り口を改善する意識をうかがわせた。, 1月場所は張り手やかち上げを自粛したことや右足親指を痛めたことが影響し、4日目まで2勝2敗となり5日目から「左母趾MP関節靱帯損傷、右母趾末節骨骨挫傷・爪下血腫で全治2週間を要する」という診断書を相撲協会に提出して途中休場[195][196]。2月3日に行われた成田山新勝寺の節分会に関しては、直前の1月場所で途中休場を喫した都合上、成田山新勝寺の公式ホームページに掲載されていた参加予定者リストからいったん外されたが、場所後に参加を決めて実際に参加[197]。3月場所番付発表の時点では横綱在位64場所を記録し、これにより単独史上1位の在位記録を達成[198]。, 2月11日の第42回日本大相撲トーナメントでは、この時点で本場所では25戦全勝と得意としている栃ノ心から右四つがっぷりからの寄り切りで黒星を付けられた。この時点では、両足の親指が黒ずんでおり左足首にもテーピングが施されているなど、怪我の状態の悪さが伝えられた[13]。, 3月場所は左足親指の怪我が回復しないことを理由に全休。2場所連続休場は横綱昇進後初となる。, 休場明けとなった5月場所は6日目に初対戦の阿炎に金星を配給。12日目はそれまで25連勝中だった大関昇進を狙う栃ノ心に初めて敗れた。14日目に逸ノ城に敗れて優勝の可能性がなくなり、千秋楽も鶴竜に敗れて11勝4敗に終わった。, 5月場所後の巡業では、第68代横綱朝青龍の甥にあたる豊昇龍に稽古をつけた。稽古を終えた豊昇龍は「横綱にぶつかることができて、うれしいです。去年、稽古してもらった後、自分はバーンと強くなってインターハイも準優勝できました」と語った。また、白鵬は、「自分も(朝青龍に)稽古をつけてもらったから、今度は(自分がその甥っ子に)稽古をつけてやってね。不思議だね、歴史は繰り返すね。あとは彼次第。」と、次世代のエースにエールを送った[199]。, 7月場所は初日から3連勝していたが支度部屋で足を滑らせて負傷。日本相撲協会に「右膝蓋腱損傷、右脛骨結節剥離骨折の疑いで2週間の安静を要する」との診断書を提出して休場した。4日目は不戦敗。8月1日の夏巡業小松場所では膝に溜まった水を注射4本分抜くなど重症ぶりが伝えられ、8月9日から10日まで巡業を一時離脱[200]。, 9月場所では初日から白星を重ね、8日目に中日勝ち越しを決めて横綱800勝に到達。14日目に14連勝で41度目の優勝を決めた。また、大鵬の12年連続優勝を更新する13年連続優勝を記録した。この日の勝利で前人未到の幕内1000勝を達成。翌日の千秋楽でも鶴竜を破って14度目の全勝優勝を達成した。24日、都内で一夜明け会見を行い、5日目に対戦した貴景勝を「大相撲を引っ張っていくのは間違いない力士」と称賛しつつ「(土俵際まで押し込まれたが)痛めていた右足一本で残せた。あれでやれるなという自信が芽生えた」と貴景勝戦で手応えを語った。